湯豆腐

京豆腐と井戸の関係

こんにちは、山西サク井設備です。また緊急事態宣言が発出されるようで……重症患者用ベッドもオーバーフローしていますし、大阪は全く予断を許さない状況が続いております。大型連休も控えていますが、皆さん、もう一踏ん張り、頑張りましょう。

さて、本日のお題ですが、旬の時期は少々過ぎてしまいましたが、京豆腐と井戸について少々。

そもそも京豆腐とはなんぞや、というと、広義では京都産の豆腐……当たり前ですね。法律上の定義では、京都府豆腐油揚商工組合にて商標登録されている「京とうふ」が、現在の京豆腐という事になるのでしょうか。

少し歴史を紐解くと、京都では室町時代ごろから豆腐作りが始まり、公家などの役職の高い人や、僧侶などが食していた高級品でした。しかし、時代の流れでコストが下がり、江戸時代には豆腐百珍と呼ばれる、豆腐料理のレシピ本が生まれる程、すっかり庶民の食べ物として親しまれるようになりました。その頃、八坂神社界隈で提供されていた祇園豆腐という田楽料理が大変有名で、京を訪れた旅人はこぞって食していたという記録も残っています。

京都で豆腐が広まったのは、都として人口が多く、流通網が発達していたのは当然ですが、更に大事なのが、そう、水です。

京都市は盆地にあり、その地下には琵琶湖の貯水量と同量と言わるほど、大量の地下水が眠っています。しかも浅い深さに帯水層がある事から、都の発展とともに非常に多くの井戸が掘られました。公家などの上流階級の屋敷はもとより、裕福な商家なども井戸を持っており、今も数多くが残っています。

その水は非常に良質な質の軟水が多く、茶道の大家が褒め称えた水が多くあります。特に、洛陽七名水、伏見七井などと呼ばれる名水の多くは井戸水です。潤沢で、かつ美味しい水。それが京都の豆腐を支えたと言っても過言ではありません。そして今日でも、市内には多くの豆腐の名店があり、各々大切にしてきた井戸の水を使い、古くからの味を守り続けているのです。

……と、ちょっとテレビで京の湯豆腐を扱っていたので書いてみました。ちなみに、京都市内には、少し前の調査では業務用途だけでも7000本ほどの井戸があるそうです。井戸屋としては、是非、末永く使っていただきたいですね。